前稿のハイデルベルク大学訪問記の脱稿後、英訳聖書についてさらに追加の調査を行っ
た。Web上には、"
Dr. Gene Scott
Bible Collection" のような、英訳聖書の収集家のサイトがあった。そこには、"Herbert
#201"のような形で、各英
訳聖書に参照番号が振られている。これを調査した結果、この番号が、A.S.Herbertの"Historical Catalogue of
Printed Editions of the English Bible 1525-1961"という書籍
1)に基づくものであることがわかり、これを取り寄せた。この書籍は、オリ
ジナルが1903年に出版され、
T.H.DarlowとH.F.Mouleの2人が当時のイギリス
の大英博物館や、ケンブリッジ・オクスフォード大学の図書館などに残っていた英訳聖書を調査し、どのような原本に基づくものか、翻訳者・編集者、出版年・
出版元などにより分類・整理したものである。A.S.Herbertがこの原版にその後発見された英訳聖書や、アメリカにある英訳聖書を追加して増補改訂
したのが1968年版であり、今回参照したものである。
本書によれば、エリザベス1世の治世(1558年-1603年)に、出版された聖書として107番から279番まで173種が挙げられている。これを
種類と出版年でまとめ直したものが、下表である。
★Geneva Version(ジュネーブ聖書)
1560 107,109,
1562 116
1570 130
1575 141
1576 143,144,147
1577 148,149
1578 154
1579 158,159,160,161
1580 164,165,169
1581 170
1581 171
1582 173,174
1583 178,179,181
1584 182,183,184
1585 187
1586 190,191
1587 195
1588 197
1589 199,200,201
1590 206
1591 208
1592 211,212(旧約のみ)
1593 215
1594 219,220,221,222,223
1596 229
1597 234,236
1598 243
1599 247
1600 256,257
1601 263,264
1602 269,270
1603 273,276,277 |
★Geneva-Tomson
(ジュネーブ聖書の1576年のTomson改訂版)
1576 146
1577 152,153
1578 156
1580 166
1580? 167
1580 168
1582 175
1583 179,180
1585? 189
1586 192
1586 193
1587 196
1589 203,204
1590? 207
1592 213
1593 216,217
1596 231
1597 239,240,242
1598 246
1600 260
1601 267
1603 278,279 |
★Geneva Version; with Tomson's NT
(ジュネーブ聖書のうち、新約だけを
Tomson版にしたもの)
1587 194
1590 205
1592 210
1594 218
1595 225,226
1597 235
1598 244
1601 262
1602 268
|
★Geneva Version; with Tomson's
NT,
but with Junius's Revelation
(左記のものの、ヨハネ黙示録の注釈を
Juniusが改訂したもの)
1599 248,249,250,251,252,253,254,255
1602 272
1603 274,275
|
★Great Bible(大聖書)
1561 110
1562 117
1566 119
1566? 120
1568 122
1569 127,128,129
|
★Bishop's Version(主教訳聖書)
1568? 123,124
1568 125
1569 126
1572 132
1572〜 133
1573? 134,135
1574 137
1575 139,140,142
1576 145
1577 150,151
1578 155
1578? 157
1579 163
1581 172
1582 176
1584 185,186
1585 188
1588 198
1591 209
1595 227,228
1596 232
1597 241
1598 245
1600 259
1602 271
|
★Tyndale' version;Jugge's
revision
(ティンダル版、Jugge改訂版)
1561? 111,112,113,114,115
1566? 121
|
★Roman Catholic version
(ランス聖書)
1582 177
1600 258
|
★その他
1560? 108(典礼用書簡、福音書)
1562 118(詩篇)
1571 131(アングロサクソン語-
英語訳四福音書)
1573? 136(内容はBishop版に似るが、
章節分けされている)
1574 138(カルヴァン派用の書簡集)
1579? 162(詩篇)
1589 202(Fulke版聖書初版)
1592 214(黙示録、書簡)
1594 224(黙示録他)
1596 230(Hugh Broughton訳旧約)
1596 233(黙示録他)
1597 237(ダニエル書)
1600 261(214の再版)
1601 265,266(Fulke版聖書第2版)
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注)238番は欠落している。理由は不明。
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筆者の
第
3稿で、A.W.Pollardの資料集
2)に
ある「フランスの印刷商である、Thomas
Vautrolierが権利を持っている、『ラテン語から訳された英訳聖書』」というのに注目し、これがヴェーバーの言う、「(vocationという訳
語を採用した)エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書(複数)」ではないかという仮説を提示した。このVautrolier版を上掲書で探した結果、
141番と142番が、Vautrolierの出版によるものだった。しかしながら、141番はジュネーブ聖書、142番は主教訳聖書であり、残念ながら
仮説を裏付けるような「新たなラテン語からの英訳聖書」は発見できなかった。もちろん、このHerbert本が歴史上存在したすべての印刷聖書を網羅して
いるわけではないだろうが、さすがにここに採り上げられていないものまで、ヴェーバーが参照したであろうとするのは、いわば贔屓の引き倒しであろう。
ここに来て、再度仮説を修正する必要が出てきたようである。冷静に、上掲表を眺めていると、圧倒的に多く出版されているのは、ジュネーブ聖書とその改
訂版、および主教訳聖書であることがわかる。筆者がハイデルベルク大学の図書館カタログの中に見つけた「
1599年
Chistopher Barker版聖書」も、おそらくは上掲表の248〜255番あたりの、「Geneva Version; with
Tomson's NT,but with Junius's
Revelation」ではないかと思う。ヴェーバーが英訳聖書の訳語に言及するのに、ここまで探して見つからないようなマイナーな聖書のものに言及し、
このジュネーブ聖書のようなもっともメジャーな聖書を無視するというのは非常に考えがたい。どうやら我々は「「……この恐るべき『ジュネーヴ聖書』を『エ
リザベス女王時代の英国国教会の宮廷用聖書』と呼び、またカトリック聖書と並べて『ヴルガータにならって再び“vocation”に戻っている』などと称
するのはほとんど考えがたい錯誤なのであるが」といった、羽入論文の偏見に満ちた叙述に判断を誤っていたのではないだろうか。ヴェーバーは"die
hoeffischen anglikanischen Bibeln der elizabethanischen
Zeit"と書いているだけである。
第
3稿で述べたように、Christopher
Barkerら、宮廷公認印刷商が、「宮廷の許可を受けて」(当時イギリスでの聖書の印刷・出版は許可制であり、勝手に印刷した場合は最悪死刑になった)
ジュネーブ聖書に基
づく聖書を印刷・出版していたのである。これを、イギリス国教会の「教会での」正式聖書であった大聖書や主教訳と区別するために、
"hoeffischen"(宮廷の)という表現を取っただけではなかろうか。
ちなみに、ジュネーブ聖書の「恐るべき」という性格、特に「欄外注」について、これも羽入式の誇張がかなり入っており、田川建三によれば、その「欄外
注」は「訳文だけではわかりにくい個所の意味の解説、古代のユダヤ教の習慣や思想の背景の解説、等々である。我々の目からすれば、まことに穏健で、親切な
学問的解説、というにすぎない。」というものである。
3)た
だ、エリザベスの次のジェームズ王については、確かにこのジュネーブ聖書の欄外注にある、「王権を否定するような表現」が気に入らず、この聖書のイギリス
での印刷を禁じ、結局欽定訳をまとめあげることになるのだが、少なくともエリザベスの時代にはそこまで否定的には扱われていなかったことに注意すべきであ
る。
次に、ジュネーブ聖書の1560年版とそれに基づくその後出版された聖書で、
コ
リントT
7.20が、ティンダル訳や、1557年ジュネーブ新約聖書で"state"であったのが、"vocation"に戻っている理由について、臆説ではある
が根拠をいくつか提示してみたい。
- ジュネーブ聖書が翻訳された当時のジュネーブは、カルヴァン派を中心として、当時のヨーロッパの古典語研究の最先端の学者が集まっていた。た
とえば、カルヴァンの後継者である、テオドール・ド・ベーズによるベザ写本の発見などを、その成果の一つとして思い起こすとよい。
ジュネーブ聖書は、カルヴァン派による、ティンダル訳のより学問的な改訂、という性格が強く、コリントT7.20の訳語の選択においても、より意味の広い
"state"よりも、意味の限定性が強いラテン語起源の"vocation"が改訂の結果、選ばれたのではないか。
- OED(CD-ROM版)によると、"vocation"のcallingに通ずる意味(1.b)"The action on the
part of God (or Christ) of calling persons or mankind to a state of
salvation or union with Himself; the fact or condition of being so
called. (Cf. calling vbl. n. 9.)"の用例として、"1561 T. Norton Calvin's Inst.
iii. 306 As by vocation and
election God maketh his elect.
"(強調・下線は筆者)が挙げられている。この用例は、ジュネーブ聖書とほぼ同時代のカルヴァン派の文書に登場するものであり、"vocation"とい
う語が、カルヴァン派にとって非常に重要な意義を持つ"election"(神による、救いに値する人間の「選び」→預定説)と並置する形で使われている
ことに注目すべきである。すなわち、"vocation"という語は、当時のカルヴァン派にとって特別な意味があり、敢えてコリントT7.20の訳語とし
て
選択された可能性が高い。
- OEDの2と同じ項目の用例で、"1526 Pilgr. Perf. (W. de W. 1531) 262b, That
vnspekable mercy that thou shewed in theyr vocacyon or
callynge."というのがある。すなわち、1535年のカヴァディール訳が"callynge"を採用する以前に、
すでにこの2語を等価的に見なすことが行われていた。ジュネーブ聖書の訳者が、カヴァディール訳での"callynge"、クランマー訳での
"callinge"採用を確認しつつ、敢えてこれを等価な"vocation"に置き換えた可能性もある。(ちなみに、筆者第2稿で、カヴァディール訳
での"callynge"採用を、羽入の「唯一の」文献学的発見ではないか、と書いたが、その後の調査では、この例のようなカヴァディール訳以前の
"callynge"
用例がOEDに登場するし、また、OEDのカヴァディール聖書からの用例引用もなんと2866個所もあるため、OEDがカヴァディール訳での
"callynge"採用に気がつかなかったという可能性はほぼ0であることが判明した。所詮、羽入の自称「文献学」とOEDのそれでは、レベルにおい
て雲泥の差がある、という例である。羽入のOED批判は折原が適切に例えた通り「蟷螂之斧」そのものである。)
最後に、補足の情報として、このコリントT7.20の訳語選択に重要である「ヘブライズム」について、調査結果を報告しておく。この部分が「明白なヘ
ブライズム」であることは、ヴェーバー自身が、「メルクス枢密顧問官」
4) に確認したこととして記述されている。ヘブライズム(より正確にはセミティズム)とは、
新約聖書のギリシア語原典に現れた、ヘブライ語(アラム語)風の言い回しの影響のことである。このヘブライズムについては、Meyers
Konversationslexikonという1888年のドイツの古い辞書に説明がある。著作権は切れているので、その一部を引用すると、
formen, Perfektum und Imperfektum; dann einen Imperativ, Infinitiv und
ein Partizipium,
durch welche wie auch durch Umschreibung alle Formen gebildet werden.
Das Nomen (mit
zweifachem Geschlecht) ist meistens vom Verbum abzuleiten und wird
durch Prafixe und
Suffixe,….
(筆者による日本語訳)
語形態、完了形、未完了系、そして命令法、不定法、分詞、それらによって、また語の形態変化によってすべての(変化)形態が形成されること。
名詞(2つの性を持つ)は、多くの場合、動詞より派生し、それも前綴りや後綴りをつけることで作られ、(以下略)
ということになる。ヘブライ語では、筆者が調べた結果では
5)子
音を3つ組み合わせた形を語根(ショレシュ)といって、単語の構成要素になって、次々に派生した単語が作られるということである。ヴェーバーが例に挙げて
いる、lkh→melakhaがまさにそれに該当する。従って、この部分をヘブライズムを意識しながら訳す時は、まさにヴルガータ訳の"in qua
vocatione vocatus
est"のように、"vocare"という動詞から派生した"vocatus"という分詞形、"vocatione"という動詞より派生した名詞形が照応
するような形で訳すことが行われる。ルターのドイツ語訳において、"rufen"という動詞から、その語幹である"ruf"を取り、それをそのまま名詞化
した"Ruf"や前綴りを付けた"Beruff","Beruf"が使われているのは、まさしくヘブライズムの忠実な反映を意図してのものであろう。
英語訳においては、おそらく英語のこのような形での造語力がヘブライ語やドイツ語より弱いという事情から、初期の翻訳では古典研究の進んだジュネーブ
訳でも、ヘブライズムを忠実に反映した訳語ではないものが選択されている。しかしながら、結局のところ、ティンダル訳から約75年を経て、"
in
the same callinge,
wherin he was called"
という、ヘブライズム的な訳に収束するのである。この場合、"callinge"という「見慣れぬ」名詞形が、この75年間の間に、「状態、身分、職業」
という形で意味の定着を見たからこその訳語定着であるともいえ、この部分の訳については、ヘブライズム的な言語学的理解と、言語ゲマインシャフト形成の社
会学的理解、の両方が必要であり、ヴェーバーはその両方をきちんと行っていると思う。
本稿をもってして、2004年春より約半年に及んだ、筆者の羽入論考批判の最終版としたい。結論を述べれば、羽入論考というのは、未熟な研究者によ
る、優れた先達へのいわれなき冤罪捏造事件であった、といえる。
以上
脚注
1)
A.S.Herbert, Historical catalogue of printed editions of the english
bible 1525 - 1961, revised and expanded from the edition of T.H.Darlow
and H.F.Moule, 1903, LONDON The British and Foreign Bible Society, NEW
YORK, The American Bible Society,1968
2) Alfred
W. Pollard,
"Records of the Englsih Bible, the documents relating to the
translation and publication of the bible in English, 1525-1611",Oxford
University Press, 1911
Reprint: Wipf and Stock Publishers, 2001
3) 田
川建三、「書物としての新約聖書」、勁草書房、1997年
4) ハ
イデルベルク大学神学部の神学教授、オリエンタリストであった、Adalbert Merxのこと。
Web百科事典の記事を
参照。Friedrich Wilhelm Grafの"The German Theological Sources and
Protestant Church Politics"("WEBER'S PROTESTANT ETHIC Origins,
Evidence, Contexts, Hartmut Lehmann and Guenther Roth編, CAMBRIDGE
UNIVERSITY PRESS,
1993")によれば、ヴェーバーはハイデルベルク大学で、E・トレルチから全般的な神学に関する知識を得る一方で、旧約聖書関連はこのMerxから、新
約聖書関連はAdolf Deissmannから情報を得た、ということである。
5)
池田潤、「ヘブライ語のすすめ」、ミルトス、1999年など。